1980年代に生まれた私にとって、ファミコンゲームは喉から手が出るほど欲しくてたまらないアイテムだった。
ファミコンを親に買ってもらいたいと心底願っていたが、どうもかなり高いものであるという認識は3歳程度の私にもあった。
スーパーマーケットのおもちゃ売り場でヒーローソフトビニル人形などを買ってもらうのが精いっぱいな我が家では、
どうやら簡単には手に入らない、、、
私は姉と一緒にコロコロコミックの景品応募コーナーにファミコンが掲載されているのを発見した。
「これだ!」とばかりに、
4歳の私と少し年上の姉が応募したのを今でもはっきりと覚えている。
「当たったらどうする。」
と寝床でドキドキワクワクしながら狸の皮算用をしていたのもはっきりと覚えているな~
とにかく当時の子供たちにとっておもちゃ類の再上位ランクにあったのが任天堂ファミリーコンピュータだ。
ファミコンは、はっきり言えばスーパーマリオを楽しむことが最高だった。
友達の家に行けば、そこには近所から熱狂的なファミコン好きな子供たちが集まっていた。
私は4歳程度であったが、それははっきりと覚えている。
学校から帰るとそんな日常が広がっていた。
当然、子供なので鬼ごっことか、小川で魚さがしとか何気ない遊びをするのも楽しい記憶だけども、
ファミコンはギラっとした強烈なインパクトがあった。
ついにファミコンが家にやってきた!
我が家に初めてファミコンがやってきたのは小学校2年の冬の事。
たしか3学期の1月か2月の事だった。
ファミコンが欲しくて欲しくて母親にねだりにねだってようやく購入が許可されたのだ。
私の記憶では、お年玉が充填されたように思う。
ファミコンを買い与えるのが嫌だと感じていた母親がついに許してくれた時の喜びは忘れない。
母親がジャスコ(今のイオン)のおもちゃ売り場でファミコンを買って、原付で自宅に戻ってきた時の記憶は無い。
だけど、最高の時間だったはずだ。
ちなみにその当時のファミコンはいまだに実家にあるし、10年くらい前に一度動作するのも確認した記憶がある。
初めて買ったソフトは確か桃太郎伝説というソフト。
近所の本屋で中古で買ってきて、熱心に遊んだ、、
しかしクリアには至っていない。
その当時、大技林とかいうゲーム攻略法が記載されたファミコン通信やらのおまけが手に入り、
そこに書かれた裏技でチートな事をしてしまった記憶がある。
しかしエンマ大王が強すぎて勝てなかったような記憶だ、、どうだったかな。
ファミコンの黄金時代とドラゴンクエストと
ファミコンはとにかく遊んだ。
学校終わりで毎日友達が来たり、相手の家に行ったりして、アクションゲームやシミレーションゲーム、スポーツゲーム、またはドラゴンクエストなんかを一緒に見ながらプレーしていた。
楽しくて楽しくてしかたなかった。
ドッチボールなんかも楽しかったが、ファミコンも別腹の楽しさがあったし、男子はみんな熱狂していた感じだった。
小学校3年の夏あたりにはドラゴンクエスト4を親が買ってくれた。
その当時で8500円という高価格なゲームである。
それまでファミコンゲームはだいたい5000円台が多かった印象だが、とにかく「高いぞドラクエは、、すごい」と子供ながらに感じたものだ。
ドラゴンクエスト3は何か陰気なイメージが嫌で入り込めない自分がいたが、
ドラゴンクエスト4はプレーしなきゃブームに乗り遅れちまうという焦りなんかもあったのかもしれない。
ドラゴンクエスト4は当時としては画期的なAI自動戦闘や、1章から5章までのストーリー性があるなど、とても凝った作品だ。
感動した。
が、3章のトルネコの商売でお金を稼ぐというシステムが理化できず、しばらくゲームを中断してしまった。
結局、少し遅れて全クリまで進み楽しんだ。
スーパーファミコンの衝撃
ファミコンが全盛時代を続けるかと思っていたが、
小学校3年あたりには少し風向きが変わってきた。
スーパーファミコンが登場して、それはそれはセンセーショナルなデビューをしたからだ。
近所の電気屋さんでは、ファミコンとテレビが一体化した夢のようなマシンが展示されており、
小学校から下校するキッズ達が毎日電気屋に寄ってはプレーしていた。
とにかくスーパーマリオランドを狂うようにプレーしていた。
電気屋さんはいい迷惑だっただろうな~ ごめんなさい。
スーパーマリオの画面のきれいさ、空を飛んだり、ファイヤーの音、スターゲット時の音のキレイさなんかで、
「スーパーファミコンすげ~」
と思い知ってしまった。
ファミコンも楽しかったが、もっと上の世界があるのがわかり、
徐々にではあるが、スーパーファミコンをおやに買ってもらった子供が増えていった。
当然ながら我が家ではファミコンを買って1年程度なので、
スーパーファミコンなど夢のまた夢であったが、、
